6 彼女たちの杞憂 〜MaGuRo Spiral〜 |
クアトは心地よい眠りについていたが、どこからか聞こえる話し声によって目を覚ます。
音のするほうを見やると、見知ったロリア組の顔ぶれが揃って歩いてくるのが見えた。
「こっちこっち〜!」
立ち上がってブンブンと両手を振るクアト。
それを見た一同は慌てたように走り出してクアトのもとまでやってくる。
「や〜、遅かったね〜。っていっても寝てたから時間はわからないけど」
カラカラとクアトが笑う。
そんなクアトにラビティが問う。
「クアトさん、あなた……平気なのですか?」
「平気ってどういうことさ」
「例えば、頭が痛くなったり、幻聴が聞こえたり……」
「ん〜?」
腕を組んで頭を捻る。
「そういえばさっき、変な声が聞こえたね」
「それでなんともありませんでしたか?」
「それがさ〜、一眠りしようかってとこでグダグダ言うもんだからウルサイって怒鳴ってやったんだ。それからは平気だ〜ね。なんだったのかね、アレは」
平然と言うクアトに呆気にとられるロリア組。
「何?どうかした?」
「クアトさん、実は……」
おずおずとフリーテが切り出す。
この泉に辿り着く前、クアト以外の面々も同様の囁きを受けたという。
クアト以外の者は、ラビティが万が一のためにと用意しておいた護符を身につけることにより大事には至らなかったが、それは強力な精神支配の類だと話して聞かす。
「クアトさんの商魂溢れる精神への介入は無理だったというわけですね」
フリーテが笑顔で言う。
「アナタぐらい図太い神経してればなんてことないってことね」
そんなミアンの皮肉にも胸を張って答えるクアト。
「あったりまえさ。そうでもなきゃ厳しい市場戦争を生き抜けないからねぇ」
「私たちが少ない蓄えでやってけるのはクアトさんの巧みな商売術あってこそですものね。私たちも見習いましょう、メモちゃん」
「あの、お姉さま?それは別にクアトさんに任せておけばいいんじゃないかなぁ……?」
「ああ、このクアトさんに任せときなさいって。素人が首突っ込んじゃ〜危険な世界だからねぇ」
バラバラに行動してた仲間たちと合流したことによる心の安心からか、どうでもいいような話で盛り上がりを見せる。
しかし彼女たちも冒険者の端くれ。
おしゃべりもそこそこにして、それぞれがこの森で遭遇した怪しい出来事について情報交換する。
「それにしても、綺麗な場所ですね〜……」
胸に抱いていたポリンを地面に下ろしてユーニスが言う。
「だよね〜。それも綺麗なだけじゃないんだ。コレ飲んでみなよ」
クアトは泉の水を詰めた瓶をユーニスに渡す。
「私も飲んでみたけど、すっごいオイシーから!このクアトさんの保証付きさ。あ〜、でも残念。願い事はアタシが叶えさせてもらっちゃったよ。すまないねえ、みんな」
クアトの言葉にみんな顔を見合わせる。
順調に泉まで到達したクアト以外の者は、願いが叶う泉の噂は何かの罠ではないかと確信していたからだ。
そんな中ラビティが口を開く。
「アイネさん、聖水を一本もらえますか」
「ん?……っほい」
どうも、と簡潔に礼を述べ、ラビティは受け取った聖水を泉の中へドボドボと流し込む。
すると、清浄な気配は掻き消え、透き通った泉の水も粘着質の高い緑色の液体へと姿を変えていった。
その異様なまでの変化にロリア組の面々は釘付けになり、また、驚きのあまりユーニスは受け取った瓶を落として割ってしまう。
クアトは顔面を蒼白にしてラビティに訊ねる。
「ね……ねえ、ラビ。さっきこの水飲んじゃったけど、平気……なのかな」
「先程の水の品質は問題ありません。聖水を投入することによって、本質的に別の液体へと変化しただけですから」
泉の水が変化を遂げると次第に空気が澱みだし、溶けるように周囲の状況も一変する。
清らかな空気は微塵もなく、そこにあるのは禍々しい気配。
空気に紫を落としたような瘴気も漂いだす。
そして泉の源泉たる水が湧き出ていた岩山は、紅く不気味な光沢を放ちながらドクンドクンと不気味な胎動を繰り返す、強いて例えるならば人間の内臓のような形状の物体へと姿を変えていた。
それを見たメモクラムは手にした杖を突きつけて叫ぶ。
「さては、これが全ての元凶ねっ!」
「さすがメモちゃん!素晴らしい推理ね」
「いや、誰でもわかるダロ……」
面と向かって言う気も起こらず、口の中でボソリと呟くアイネ。
「みなさん、何か聞こえませんか?」
フリーテの声に、皆それぞれの武器を手に身構える。
耳を澄ますと確かに何者かの声が聞き取れる。
「うぅ~。狭いよぅ〜、暗いよぅ〜、ベトベトするよぅ〜」
弱音と、それに混じって鼻をすする音も聞こえる。
「って、この声は……」
その声は、彼女たちがとても聞きなれた声であり、それは彼女たちの正面で脈打つ奇妙な物体から聞こえてくる。
すかさずフリーテが駆け寄り、淡い光を宿した剣を振るう。
あっさりと切り裂かれたその物体の中でロリアが小さくなって身を震わせていた。
目を閉じて、涙を流しながら……。
衰弱したような感じはするが外傷もなく、命に別状はなさそうだ。
フリーテの剣による傷などもちろんのことない。
手加減無しに振るわれたフリーテの剣だが、邪悪のみを切り裂くフリーテの十字の剣閃はロリアの身に何一つ傷をつけることはないのだ。
「お姉ちゃん!」
真っ先にアイネが駆け出し、フリーテに並んだところで足を止める。
「う……」
咄嗟に鼻を押さえるアイネ。
見ればフリーテも顔をしかめて鼻を押さえている。
アイネの声にピクッと体が反応したかと思うと、
「アイネ、ふーちゃん……。それに、みんな…………来てくれたんだ」
そんな二人には気づいた風もなく、ロリアは涙に歪んでいたその顔を綻ばせていく。
「もう、会えないかと思ってた……。助かったよ、ありがとー!」
満面の笑みが浮かぶ顔の頬を一筋の光が濡らしている。
それは先程までの涙とは意味合いを異とするものということは想像に難くない。
一つの冒険者グループのリーダーであるとしても、その中身は年端も行かぬ一人の少女でしかないのだ。
若干の衰弱はあれども足取りはしっかりと、抱きつこうとしてくるロリアをアイネが制する。
「お姉ちゃんストップ!」
「え……?」
思いもよらぬ妹の言葉に、影を縫われたかのようにピタリと歩みが止まる。
ゆっくりと後ずさり、ロリアから距離をとるアイネとフリーテ。
「臭うヨ、お姉ちゃん……」
悪臭の発信源はロリアだった。
言われて自分の衣服の匂いを嗅ぐロリア。
「そんなことないと思うけど……」
顔を上げた先にアイネとフリーテはもういない。
他の者たちのもとまで戻り、そこではヒソヒソと小会議が開かれていた。
「まあ、ロリアは……ね」(ミアン)
「そっち系はもう慣れてしまったのでしょう」(ラビティ)
「さすがロリアさんですねぇ」(セモリナ)
etc……
「みんな、助けに来てくれたんじゃないのぉ〜〜〜〜!?」
ロリアの悲痛な叫び声がこだました。
………
……
…
フリーテが奇怪な物体を切り裂いていくばくもしないうちに変化は訪れた。
瘴気が晴れていくと同時に泉も消え、そこは木漏れ日の差す何の変哲もない森の広場へと変貌していった。
瘴気は元来迷いの森そのものが纏っていた不浄な空気も吸収していたようで、瘴気が晴れた後には清々しい空気が辺り一帯を支配した。
だが、ロリアにこびりついた悪臭は残ったままだったので、臭うロリアに聖水を遠くから放って渡し、頭から浴びさせる。
1本ではとても効かず、結局5本分浴びてようやく至近距離にいても我慢できるくらいになった。
そのままでは風邪になりかねないので、モンスターよけの意味も含めて火をおこす。
「そんなに臭うかな〜?みんなが神経質なんじゃないのぉ?」
まだロリアはブツブツ言っていたが、庇う者は誰一人としていない。
とりあえず一段落したところでラビティが切り出す。
「さて、これでみなさん揃ったことですし今回の騒動の説明をしましょう」
コホン、と咳払いしてラビティが話し始める。
「皆さん自身、身をもって分かったかと思いますが森の様子からしておかしかったはずです。そして、今思うとその予兆は数日前からあったのです」
「?」
ラビティの言っている意味が理解できていない様子のロリア。
「それってどういう……」
「そうね。風の流れ方がおかしかったのは気になってたけど」
ロリアの質問を遮り、さも当然とばかりにミアンが口を開く。
自然と共に生きるハンターは、自分を取り巻く自然環境を読み、自分にとってそれが有利に作用するように立ち回るのが基本だ。
とりわけ風の流れは重要なもので、たとえそれがどれだけ微細な変化であろうとも、上手く読みきれれば自分の腕前を十二分以上に発揮できると言われている。
言い換えれば、風の変化を読みきれないようではハンターとしてはまだまだ半人前だということだ。
「…………」
ミアンの言葉に自分の質問を忘れて目を丸くする。
「普段よりも空気に含まれる邪気が多くなっていたのはこの前触れだったんですね」
というのはフリーテの意見。
それにアイネも頷いて同意する。
人間といえども怒り・妬みなどの負の感情は持っているもの。
いや、人間だからこそ負の感情を持ち合わせ、それを自らの理性で抑制する。
だが、押さえきれない負の感情が流れ出し、空気に染み渡ることもよくあることだ。
クルセイダーであるフリーテとプリーストであるアイネはそれを邪気として肌で感じていたのだ。
そんな二人の意見にガックリと肩を落としたかと思うと、ものすごい勢いで視線どころか顔ごとメモクラムに向ける。
「え、わ、私?私は〜……」
「当たり前じゃないですか。天才の名を欲しいままにする、このキュートな魔法使いメモちゃんが気づかないわけがないです。ね、メモちゃん?」
「え?あ、あ〜……っと。モチロン!モチロンだよ、お姉さま!」
次いでクアトやユーニスもそれぞれが思っていたことを言っている。
「…………」
どうやら自分以外のみんなは異常に気づいていたらしい。
いまさら「気づきませんでした」とはとても言えないので、しきりに相槌を打ったり頷いたりして誤魔化そうと必死な様子のロリア。
「で、出発前に何か手がかりでもあればとプロンテラに立ち寄ったのですが、『よからぬ気配を北の方角から感じる』と聖堂のシスターが言っていました。いつからかと聞けば、『ほんの数日前から』と言うのですから間違いありません。北の方角・数日前、そしてつい最近流れ出したフェイヨン中の迷いの森の怪しげな噂。これで確信しました」
軽く間を空けて続ける。
「アイネさんとフリーテさんが感じたという邪気ですが、それこそ先程までここで漂っていた、言うなれば瘴気でしょうか。あれに私たちを襲ったような精神支配の効果を付随させ、街へと飛ばしたのです。ちょっとした距離を飛ぶうちに効果はある程度薄れるでしょうが、人を呼び寄せるには十分だったようです」
「で、結局さっきのはなんだったわけ?」
ラビティの回りくどい説明にイライラしながらミアンが訊ねる。
「邪悪な瘴気の集合体といったところです。一つになることにより意思を持つようになり、自身の肥大化のためだけを目的に生きるモノ。噂をばら撒いて人を集め、そこで精神支配を施して取り込み肥大化する、と。その元々は人間に限らない霊体だそうです。教会には今回の事件に似た言い伝えがあるそうで、一通りその言い伝えを聞いていたので私は到着が遅れてしまいました」
そこでロリアが弱々しく声を出す。
「ということは……じゃあ、街の噂って、やっぱり……?」
「ええ、そんな都合のいい話などあるわけないということです」
「あ、うん。そうだよね……」
ラビティの説明が落ち着いたところでユーニスがロリアに向かって言う。
「ロリアさん、どうして一人でこんな危険な場所に来たりしたんですか?」
「え?そ……それは…………」
そのユーニスの質問にロリアが返答を詰まらせていると、ミアンが口を開く。
「きっと噂を真に受けて、まぐろ姫だのなんだの、そういった自分の不名誉なイメージを
払拭しようとしたんじゃないの?」
「そ……そんなことないってば!わ、私はただ、こんないい天気だからお散歩でもしようかと思っただけで……えっと、その……」
慌てて弁解するロリアを遮ってラビティが口を開く
「まあ私にはどうでもいいことですが。ときにロリアさん」
「え?」
「今回私たちはロリアさんを探してここまでやってきました」
「うん」
「そして、ここに辿り着くまでに通常いない強力な魔物と戦ったりと大変な目に遭った人も大勢います」
「そうみたいだね」
「よって、今回ロリアさん救出に使った薬代などは、全てロリアさんに支払ってもらうことになりますので」
「!?」
周りを見回すと、全員が頷いている。
「うぅぅ……。汚名返上のチャンスと思ってこんなトコまで来たのにぃぃぃぃ……」
ロリアは思いもよらない災難に涙声だ。
「ということはろりあん……やっぱりそれが目的だったんですね……」
笑みを浮かべながらも呆れた表情のフリーテ。
「ああっ!しまったぁぁぁぁぁぁ!」
頭を抱えて過剰なまで反応を見せるロリア。
「結果的には汚名挽回ってかんじだけどね。アッハハハハハー♪」
自分で言ってツボにはまったのか、大声で笑い出すクアト。
ヤケになったのか顔を赤くさせて喚き散らす。
「ああそうだよ!もうマグロとか言われるのはヤなの!ウンザリ!みんなだってマグロマグロ言われてみればいいんだよ、私の気持ちなんてこれっぽっちも分からないくせに……!」
愚痴り始めたロリアのことは完全に無視し、呆れかえった面々は帰路につく仕度を始める。
「まったく……くだらなさすぎだわ」
ジオソードを連れて足早に引き上げるミアン。
「お姉さま、私、今日はシチューが食べたいな」
「じゃあメモちゃんのために腕を振るっちゃいましょう。おいしいシチューを作っちゃいますから♪」
「あ、アタシも食べたいな〜。セモリナさんのシチュー」
すかさずメモクラムの意見に飛びつくアイネ。
「大丈夫ですよ。みなさんの分、ちゃ〜んと作りますからね」
「セモリナさんのシチューはおいし〜んだよねー。楽しみだな〜」
「ですね」
クアト、フリーテも散々な一日の夕飯に心を躍らせる。
「ユーニスさん、そのポリンはどうするんですか?」
「やっぱり自然のままが一番だと思うし……ここなら危険もなさそうだし」
また会いに来るからね、と別れを告げてポリンに笑顔を見せる。
本当はとても寂しいのだが、それがポリンにとって最もいい選択であると考えたユーニスはここで別れを決断したのだ。
ポリンの瞳も寂しそうだが、ユーニスの気持ちを汲んでかこちらも笑顔で応える。
長引く別れは辛いのだろう、すぐに茂みの奥へと行ってしまった。
一度も振り返らなかったポリンに強さを感じたユーニスであった。
ポリンの後姿を見送ったラビティが沈黙を破る。
「さあ、帰りましょう。さすがに私も疲れが溜まりました」
「あ、ラビちゃんは先に行ってて。私はロリアさんが気になるから」
夕飯までには帰ってください、とだけ言い残し先を歩くアイネたちを追いかけていく。
残ったユーニスは、いまだ愚痴が止まらないロリアにそっと近寄る。
「大体さ〜、なんで私がやられたときだけマグロマグロ言うのさ。みんなはマグロったりしないわけ?するでしょ?」
「ロリアさん」
涙目でキッとユーニスを見据え、八つ当たりでしかない怒声を浴びせる。
「なにさ!ユ−ニだって私のことバカにしてるんでしょ!?いいもん、一人で強く生きてくもん!」
ユーニスはそんなロリアにも優しく言い聞かせるように声をかける。
「えっと……なんていうか、ロリアさん。大丈夫ですよ」
「……ユーニ」
ユーニスの優しさ溢れる言葉に愚痴るのをやめ、その言葉に耳を傾ける。
「みなさん色々言ってますけど、やっぱりロリアさんのことが心配でここまで来たんですから」
ロリアはユーニスのこの言葉に一気に恥ずかしくなる。
確かにそうだ。
自分の欲望のために勝手な行動をしてみんなに心配を掛けて。
それなのにみんなは私のために危ない目に遭ってまで自分を助けに来てくれて。
まして、得体の知れない魔物の誘惑にいいようにされた自分は、みんなが来てくれなかったら命を失うかもしれない状況だったのに。
なんてダメなヤツなんだろう、私は……ッ!
「私、間違ってたよ」
ユーニスの手を取って言う。
そのロリアの瞳は先程までのようなくすんだ色ではなく、どこまでも澄み切った、ロリア組リーダーとしてユーニスが信頼する瞳だった。
その瞳を見つめながら、ユーニスはさらに言葉を紡ぐ。
「それに私、似合ってると思いますから」
「へ?」
「まぐろ姫って、ロリアさんだからこそ似合うと思うんです。……いいえ、まぐろ姫はロリアさんじゃなきゃダメなんです!」
「ユ……ユーニ?」
「だから、もっと自信持っていいと思います!」
元気出してくださいね、と言い残してユーニスはエクセリオンに跨り街へと向けて走り出す。
ユーニスの後姿を見送りながらしみじみと思う。
「私って……生まれついてのマグロキャラなのかなぁ…………」
少しばかり呆然としていたが、立ち上がり、どこかすっきりとした気持ちで歩き出す。
「セモリナさんのシチューか……。早く帰ろっと」
ロリアのまぐろな日々はまだまだ続く……………?
まぐろスパイラル 〜迷いの森の眠り姫〜 End