3 彼女の決意 〜Sword Dance〜 |
曲がりくねった道をただひたすらにアイネは歩く。
その背中を追うようについていくメモクラム。
森の入り口から歩き出してもうどれほどの時が経っただろう。
既に時間の感覚などなくなっていた。
「ねぇ」
「……」
アイネの背中に声をかけるメモクラム。
だがアイネは無視。
「ねぇってば」
「…………」
やはり無視。
だんまりを決め込む。
数秒の間を空けて再度メモクラムが声をかける。
「ねぇねぇ、あのさ」
「……聞きたくない」
ようやく返ってきた返事は返事と呼べないものだった。
だが、メモクラムにしてみればその返事だけで意味は全て把握できた。
「ってことは、もしかして……もしかするわけ?」
「そうだヨ。もしかしちゃったヨ」
そう。
二人は道に迷っていた。
道順が既に発見されているとはいえここは迷いの森。
ちょっと気を抜こうものなら迷子になるのは容易い。
「こんなことならセモリナお姉様とくればよかった〜」
自分自身薄々気づいていたとはいえ、認めたくない事実を連れに肯定されたことでメモクラムは泣き言を口にしだす。
「ったく。文句言う暇あったら道探しなさいよね〜。チンタラ歩いてるんじゃないヨ」
ちょっとバツが悪そうにしながらも悪態をつくアイネ。
「や〜だ〜、もう歩けない〜!っていうか、私は後ろくっついてきただけなんだし何も悪くないじゃん。なんで私がこんな目に遭うの〜!」
たしかにメモクラムの言うとおりなのだが、それはメモクラムが何も考えずにただ歩いていたということに他ならない。
メモクラムもアイネと一緒にしっかりと道を選んでいれば、そもそもこんなことにはならなかったはずだ。
「そんなこと言ってるとおいてっちゃうヨ」
「いいもん。好きにすれば?」
「あっそ。それじゃあ願い事はあたし独り占めしちゃうからね」
勝手にしな、と言い残してアイネは一人先へと進む。
………
……
…
数分した頃だろうか。
「あ〜!もう〜!」
髪を掻き毟りながら、小走りに今歩いてきた道を戻る。
「あのワガママ娘め、こんなトコに放っておけるわけないじゃんかヨ」
なんだかんだいっても心根は優しいこの少女が誰からも愛される所以だ。
やがてメモクラムと別れた道へ出る。
メモクラムは道端の手頃な石を椅子代わりにこっくりこっくりやっていた。
「無事か……。呑気なもんだネ、こっちの心配なんてお構いなしで居眠りなんかしちゃってさ」
ホッと胸をなでおろすアイネ。
が、その瞬間、空気に緊張が走る。
まるでずっと前からそこにいたかのように、メモクラムの後ろに見慣れぬ異形の人間が姿を現した。
彷徨う者。
よほどのベテラン冒険者でも一人で立ち向かうのは難しく、対処する場合には居合わせた見ず知らずの人間同士が協力してようやく駆逐できるほどの魔物。
経験の浅い冒険者などでは、いくら束になろうとこの魔物が振るう刀の錆になるだけだ。
「メモすけ、うしろ!」
「ふぇ……?」
アイネは声をかけるが、自分が助けに行くのは間に合わない
メモクラムはアイネの声に反射的に後ろを振り返り、自分の置かれた状況を理解する。
暗く沈む何を映しているかもわからぬ瞳に射すくめられ、メモクラムは動くことすら許されない。
「……!」
「……!」
声なき悲鳴と声なき気合が交錯し、彷徨う者が殺気を爆発させ鯉口を切る。
死んだ。
目の前で起ころうとしている一瞬後の惨劇から逃げるようにアイネは目を瞑る。
「ギシャアアアアアアアアアア!」
人間の肉を裂く快感に打ち震える歓喜の叫びだろう。
この次は私だ。
逃げられるはずもないし、逃げようにも足がすくんで動けない。
せめて一瞬で楽に殺して欲しいナ。
そんなことを思いながら死を待つ
1秒……
2秒……
3秒……
5秒……
10秒……
恐怖に震える人間を見て喜悦に浸っているのか、死を告げる一刀はいまだ振るわれない。
嬲り殺し?
なら、せめて抵抗してやれ……ッ!
気を奮い立たせて長い付き合いであるソードメイスを握り締めて目を見開く。
だが、そこにある光景はアイネの予想外のものだった。
そこにあるのは、刀こそ握っているものの耐えかねる痛みにのた打ち回る彷徨う者の姿。
あの叫び声は苦悶の叫びだったのだ。
よく見てみると彷徨う者の右眼に深々とナイフが突き刺さっている。
アイネはすかさず片眼の視力を失った彷徨う者の死角に回り込み、愛用の鈍器でありったけの力を込めた一撃を叩き込む。
視界外からの攻撃に彷徨う者は体ごと吹き飛びもんどりうって倒れこむ。
「しっかりしろ、メモすけ!」
その隙に叱咤しつつも手を差し伸べるアイネ。
「ったく、腰抜かしてる場合じゃないヨ。やっぱりサラ組はその程度なのカナ〜?」
「だ、誰が腰なんか抜かすもんですか!たまたま攻撃が当たったからって偉そうにしないでよね!」
言い返しながらもその手を借りて起き上がる。
そして、そんな二人の前に立ち塞がるようにして、一陣の風の如くに一人のアサシンが現れる。
とてつもない強敵と遭遇しながらも二人がいつものような軽口を叩けたのは、目の前のアサシン・セモリナの存在によるものだった。
「メモちゃんをいじめるヒトは、私が許しません……!」
しかし、いつものおっとりとした表情はそこにはなく、その顔に浮かんでいるのはアサシンとして生きる者なら誰もが胸に秘める決意。
かつてのルーンミッドガッツで暗躍していた暗殺者のものとは異質のもの。
自分が友と認めた者、愛する者を守ると自らに誓った決意だ。
今現在のアサシンの刃は、それら大切なものを守るために振るわれる。
いつもの穏やかな笑みを浮かべてセモリナは言う。
「もう大丈夫です。二人とも、ここでちょっとだけ待っていてくださいね?」
それだけ言うと、アサシンらしい無駄のない動きで彷徨う者と対峙する。
「私も一緒に戦うヨ。怪我したわけでもないし、簡単な補助魔法くらいならできるし、ヒールだって……」
ソードメイスを握り締めセモリナに並ぼうとするも、セモリナが腕で制止する。
「ダメです。もしもアイネちゃんに何かあったらロリアさんが悲しむでしょう。いいえ、ロリアさんだけじゃない、皆が悲しみます。そんな思いは……誰にもさせません」
セモリナはアイネと視線を合わせずに、優しく、力強く言う。
「……わかったヨ。でも、これくらいはいいよネ?」
アイネは目を閉じて神に祈りを捧げる。
聖職者が神の力を借りて行使する神聖なる魔法。
アイネというプリーストを通じて、セモリナの体には神の祝福がなされた。
自らの快楽の時間を邪魔された彷徨う者は、セモリナに虚ろな瞳を向け無造作に間合いを詰めてくる。
「危険です。二人とも離れていてください」
チラリと視線を送りアイネとメモクラムに注意を促す。
「うん…………ッ!」
そのセモリナの顔を見たアイネは背筋をゾッとさせた。
セモリナの表情がまさしく暗殺者のものだったからだ。
普段から温和な笑みを絶やさないセモリナゆえに忘れそうになっていたが、セモリナもルーンミッドガッツに生きるアサシンなのだ。
その心の内には、アサシンとして生きることを決めたその日から非情なる心が共生している。
どちらかのセモリナが偽りなのではない。
共にセモリナという一人の人間なのだ。
「覚悟はいいですか……」
滑らかな動きで、物音ひとつ立てることなく使い慣れた短剣と長剣を構える。
見る者が見れば、ただ構えるだけという動作だけでセモリナというこの暗殺者が並みのアサシンではないということがわかることだろう。
もしセモリナと対峙しているのが人間だったならばこの時点で降参することもありえたろうが、彷徨う者はただ向かってくる。
彷徨う者は自らが扱う得物の間合いに入った瞬間、予備動作もなく斬撃を放ってくる。
彷徨う者が放った居合いによく酷似した一撃がセモリナを真一文字に引き裂いたと思った瞬間、セモリナの姿が消える。
「私はこっちですよ」
斬られたと思ったセモリナは瞬時に彷徨う者の背後に回りこんでいた。
振り向きざま、血を求めし刃は袈裟斬りに軌跡を描く。
神速と呼ぶに相応しいその一撃も消えるようにして回避。
そして繰り返される光景。
戦うこと・殺すことが本職であるセモリナの動きは、とてもアイネとメモクラムが追いきれるようなものではなかった。
一挙手一投足を捉えることは出来ないが、セモリナの動きがそれ全体でひとつの完成されたもののように思えてきた。
二人にはセモリナがまるで舞を舞っているかのような錯覚に陥った。
それはまるで名うての舞姫の如く、彷徨う者をパートナーに一つの舞を舞っているのだ。
数秒か、数十秒か、はたまた数分か。
時の流れを忘れるほどにセモリナに目を奪われていた二人だが、どういうことか彷徨う者の動きが徐々に鈍りだしたように思える。
これほどの上級な魔物が、いくら手練とはいえ人間を相手に疲れを見せるものだろうか。
否。
普通ではありえないことだ。
ではなぜか。
そう。
セモリナの踊る演目は剣の舞。
しかしそれは、共に踊るものを血染めにする剣の舞だ。
セモリナが攻撃を避けるために踏まれたステップと同時に、セモリナは確実に一刀を振るっていたのだ。
ただ、その戦い方があまりにも無駄のないものなので、二人はセモリナの繰り出す斬撃が斬撃であると本能が認識出来なかったのである。
ついには彷徨う者の動きがアイネとメモクラムでも捉えきれるほどになる。
だが、魔物としての本能だろうか、それでもセモリナに刃を振るおうとする彷徨う者。
背後に回ったセモリナに斬りかかろうと振り返った瞬間、彷徨う者の動きがピタリと止まる。
彷徨う者の頭部にセモリナの長剣が突き刺さっていた。
「踊り疲れたでしょう。ゆっくりと休んでください…………永遠にね」
言い終わると同時に剣を引き抜く。
地面に崩れ落ちたかと思うと、瞬時にその体は掻き消えた。
慌ててセモリナに駆け寄る二人。
「え〜っと、ヒールは……必要ないのカナ?」
「大丈夫ですよ、アイネちゃん。ありがとう」
いつもの見慣れた笑みで答えるセモリナ。
「なんでこんなところにこんなヤツがいるのよお~!」
危険から解放され、ちょっと愛情表現がオーバーだけれど大好きな姉がすぐ隣にいるという安心感から、今度は自らが陥った理不尽な命の危険に腹を立てるメモクラム。
「ええ。ここに来るまでにも、いつもは存在しないモンスターを見かけたの。早くみなさんと合流したほうがよさそうよ。急ぎましょう、二人とも」
「うん。ちょっと余裕かましてる場合じゃなさそうだしね。こうなってくるとお姉ちゃんもちょっと心配だし……」
「そしたら私がロリア組を引き継いで上げるから心配しなくてもいーよ♪」
「ま〜だそんなコトいってるのか、このオトボケ娘は……。どっと疲れちゃうヨ」
だが森の深部へと向かう足取りは、言葉とは裏腹にとても軽かった。